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源氏重代八領の鎧の一つ楯無風に据紋金物を武田菱、絵韋を牡丹唐獅子にした赤糸威鎧です。
   
 
 
   
   
   
   
  少弐景資

蒙古襲来絵詞より

 住吉鳥居の本陣にて軍扇、弓を持ち鎧櫃に腰掛ける日本軍大将 少弐景資。その前を肥後より到着した竹崎季長が通りかかり、僅か5名で戦功をたてる為には先駆けするしかない旨を申し述べ、景資も快くこれを送り出す。

大鎧押捩
 文永の役、百道原・姪浜戦にて大将軍、少弐三郎左衛門尉景資は蒙古軍副司令官、征東左副都元帥劉復亨を押捩にて射落とした。これにより混乱した蒙古軍は後退することとなった。 


  平重盛@平治の乱

 待賢門の戦いで源義平17騎重盛を生け捕りにせんと500騎の重盛軍に突撃、重盛は無理に相手する必要しと内裏大庭にある左近橘、右近桜の周りを逃げ回り頃合いを見て退却、つられて源氏軍が誘い出されたところを平家の別動隊が内裏を占領。右手前ではここまで体を傾けらなかった。源義平は小桜韋縅鎧で再現。


  平山季重@一ノ谷合戦

 平忠度の陣に討ち入る季重。平山氏は武蔵国多摩郡平山の豪族で武蔵七党の一つ西党。季重は平治の乱で悪源太義平に従った17騎の1騎。その後常陸侵攻、宇治川合戦、一の谷合戦でも活躍、熊谷直実と功を競い合った。
 鞍にぶら下げた生首がしっかり写っていなかった・・・
源義平は小桜韋縅鎧で、平忠度は紺糸裾濃縅鎧で再現。


  春日権現験記絵の覆面武者


 春日権現験記絵の覆面武者やってみました。柔らかい布だと奇麗に広がらず、固い布が必要でした。これで外乗に行こうとしましたが、視界が悪すぎて危険なので諦めました。ヒラヒラするから殆ど前が見えず…穴の周りを目に貼り付けておかないと。当時の人はどのような材質のものを着用していたのでしょうか。


  伝足利義尚像

 近江守護六角高頼征伐に向かう室町幕府第九代将軍足利義尚。約100年ぶりの将軍親征を一目見ようと京の大路を人々が埋め尽くす

 大鎧小具足姿、室町時代となると諸籠手で上に直垂を着ている。脛当には立挙がつく。喉輪も装着。


  足利直義@多々良浜の戦い


少弐貞経を大宰府有智山城にて滅ぼした菊地武敏と多々良浜で対峙した尊氏は戦力差に弱気になる。
直義と貞経嫡男少弐頼尚の説得で戦闘開始するも敵の攻撃に押された直義討死を覚悟。
直義は形見に直垂の右袖を尊氏へ送り脱出を促す。
直義を死なせてなるものかと突撃する尊氏、直義と頼尚も反撃、寝返りを誘発し劣勢を覆しての大勝利。

1.直垂右袖を千切る足利直義 諸籠手で上から直垂を着ている想定。
2.伝足利尊氏像 小桜韋縅鎧で再現
3.南淋寺少弐頼尚供養塔・賀茂御庵宗修禅尼遺髪塔
4.有智山城少弐貞経自害、尊氏達に準備した鎧が灰燼に帰す


  畠山重忠 赤糸縅鎧小具足姿


 赤糸縅鎧小具足姿の畠山重忠。後三年烏帽子ではでは兜を被れまいと思い引立にする。左手にはユカケをつけていない。矢を放つ際に傷めないでしょうか?鵯越で馬を担いだ重忠の怪力、当時としては普通?


  平忠度

 出陣にあたって桜の木の下で歌を詠む忠度。一ノ谷合戦の矢戦では兜を被らず烏帽子であった。

 兜が無いので立烏帽子と勘違い。(立烏帽子なら兜を被らないから)忠度俊成を訪ねる図と混同した。


  平敦盛

 青葉の笛を吹く敦盛。難しくてまともに音が出ない。ユカケしたままで演奏できるのだろうか。


  佐々木高綱 in 源頼朝御鎧@勝長寿院供養


 1185年10月24日、勝長寿院供養で高綱は頼朝の御鎧を纏い前庭に。この時高綱は鎧の胴を着た後に脇楯を装着していた。周囲は脇楯を鎧の上に着けるは誤りと非難すると高綱は「主君の御鎧を着た時は万一の時先ず脇楯を取って進上するもの。非難する者は勇士の故実を弁えていない」と反論した。これは公方の太刀を装着し弓手に位置する公方御剣所役が将軍が太刀を抜きやすいように右腰に履くのに通ずるものがある。

 脇楯を鎧の後に着てみる。体に密着せず行動するには不便と思う。


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  奉納飾り

     
   
       
           
   

   
   
   
   
  完全装備

   
   兜と弓で完全装備です。弓が天井に当たってしまうので斜めにしています。ユカケが布製なので矢が滑る・・・誤って射てしまわないか心配でした。  
   

   
   
   
   
  引立烏帽子

   
     平家物語巻第四 橋合戦

 以仁王の挙兵が露見し宇治で平家軍を迎撃した際、源頼政は今日が最後と覚悟を決めて兜を被らないまま戦った。嫡子伊豆守仲綱も弓を強く引くため兜を被らなかった。

兜を被ると吹き返しが邪魔で弓が少ししか引けないので、それでも威力が出るように強い弓を使用する必要があります。
 
   

   
       
   
  立烏帽子

   
     平家物語巻第八 鼓判官

 法住寺合戦の際、播磨守、右近衛少将の藤原雅賢は鎧に立烏帽子で出陣したが、源義仲配下の樋口兼光に生け捕られてしまった。
 
   

   
   
   
   
  乱髪

   
   乱髪。本当は大河ドラマの一場面で義経の八艘飛に平家の負けを悟った平知盛をやってみたかったのですが、表情が難しい…いくらやってもそれらしく見えなかったので諦めて普通に撮りました。  
   

   
   
   
   
  少弐景資

   
     蒙古襲来絵詞より

 住吉鳥居の本陣にて軍扇、弓を持ち鎧櫃に腰掛ける日本軍大将 少弐景資。その前を肥後より到着した竹崎季長が通りかかり、僅か5名で戦功をたてる為には先駆けするしかない旨を申し述べ、景資も快くこれを送り出す。
 
   

   
   
   
   
  加藤景廉

   
   頼朝より拝領した長刀に兜をひっかけ、伊豆目代 山木兼隆の篭る部屋に兜を投げ入れようとする加藤景廉。兼隆が兜に反応した隙にこれを切り付けて討ち取る。

 重すぎる!柄がしなっている様に見える…写真撮る間じっとしていなければならないので辛かったです。ちなみに刃ををつけたままだと切先が兜の内張を傷つけてしまうので外してしまいました。これでは長刀ではなくただの棒だ…
 
   

   
   
   
   
  大鎧二領重

   
   入水シーンの定番大鎧二領重。本当に出来るのか?と思いつつ小桜韋威鎧を纏ってみる。・・・出来ないことはないです。でも奥まで押し込めないので肩紐は左側しか結べません。それからとても太って見えます。まあこれから死ぬというときに格好なんか気にならないでしょうが。  
   

   
   
   
   
  騎乗

   
   木曽馬で射向大袖を動かす練習している時の写真です。射向大袖は盾として自由に動かせなければならないのですが、篭手に引っかかってなかなか思うようになりません。また動かし易くするために紐を長くするとだらりと垂れ下がってみっともなく、見た目の美しさと使い易さを両立させるのが難しい。  
   

   
   
   
   
 
 
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